東京高等裁判所 平成2年(ネ)4234号 判決 1991年12月24日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一、申立て
一、控訴人
1. 原判決を取り消す。
2. 被控訴人は、控訴人に対し、原判決添付別紙(以下、単に「別紙」という。)第一物件目録(一)ないし(六)記載の各土地(以下「一の土地」という。)、同第二物件目録(一)ないし(五)記載の各土地(以下「二の土地」という。)及び同第三物件目録記載の土地(以下「三の土地」という。)の持分各四分の一について、真正な登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続をせよ。
3. 被控訴人は、控訴人に対し、五〇四〇万四一二五円及びこれに対する昭和六二年三月七日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4. 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二、被控訴人
主文同旨
第二、主張
当事者双方の主張は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決事実摘示(第二事案の概要)のとおりであるから、これを引用する。
1. 原判決二枚目裏四行目の「昭和六〇年」を「昭和五〇年」と、三枚目表一一行目の「死亡の前後一貫して」を「死亡のころ」とそれぞれ改める。
2. 三枚目裏五行目冒頭から次行の末尾までを次のとおり改める。
「1 控訴人は、被控訴人が、銕五郎の死亡のころ、本件遺言書を保管していながら、その存在及び内容を控訴人ら他の相続人に秘匿し、これを隠匿したものであるから、民法八九一条五号所定の欠格事由が存すると主張するのに対し、被控訴人は、同号所定の隠匿に当たる行為をしたことはないと主張する。
したがって、本件の第一の争点は、被控訴人が本件遺言書を隠匿したか否かの点にある。」
第三、証拠<略>
理由
一、本件遺言書の隠匿の有無(争点1)について
1. <証拠>(後記措信しない部分を除く。)によれば、次の事実が認められる。
(一) 銕五郎は、妻フジ及び被控訴人らと同居して暮らしていたが、昭和四二年二月二二日、フジとも相談のうえ、同人の実家の当主である林由五郎、大川家の菩提寺の住職小林慈征の両名と被控訴人を同行して、川崎市所在の横浜地方法務局所属公証人吉岡述直役場に赴き、同公証人に対して、右林及び小林の両名を立会人として遺言公正証書の作成を嘱託した。
(二) 右嘱託に係る公証人吉岡述直作成の遺言公正証書には、銕五郎は、同人が死亡した場合、川崎市木月字矢倉所在の田畑など四筆及び同所在の建物三棟、同字稲荷町所在の宅地一筆、同祇園町所在の田九筆(以下、右祇園町所在の田九筆を「祇園町の田」という。)等の同人所有の不動産のうち、祇園町の田の一部八〇坪を中川君代(長女)に、その余は全部被控訴人(二男)にそれぞれ贈与し、遺言執行者として右証人の一人である林由五郎を指定するとの遺言をした旨の記載がされている。
(三) 右遺言公正証書の原本は、同公証人役場に保管されているが、銕五郎は、右同日、同公証人からその正本(本件遺言書)の交付を受け、その後、被控訴人に指示して、これを自宅の金庫に保管させていた。
(四) 銕五郎の相続開始時において、同人の法定相続人は、中川と被控訴人のほか、フジ、控訴人(二女)及び小川孝子(五女)の計五名であったが、被控訴人は、右相続開始後まもなく、控訴人及び小川の両名にも、中川と同程度の遺産を取得させたいと考え、その意向をフジに伝えた。
そこで、フジは、中川、小川及び控訴人の三名に対し、本件遺言書には言及しないまま、同人ら三名において祇園町の田の一部を各八〇坪ずつ相続し、残りの遺産全部を被控訴人が相続することとしてはどうかと提案したところ、控訴人から「各人に一〇〇坪ずつ欲しい。」などの要求が出されたため、フジが中心になって、各相続人間の意見の調整が行われた。
その結果、同年一〇月二八日、全相続人の間で、中川、小川及び控訴人の三名が祇園町の田を各一〇〇坪ずつ取得し、中川及び控訴人の両名はそのほかに同字矢倉七〇〇番地所在の建物を一棟ずつ取得すること、その余の遺産は全部被控訴人が取得することなどを骨子とする遺産分割協議が成立した。
(五) 右の遺産分割協議に至るまでの間に、被控訴人は、小川から遺産分けについて尋ねられた際に、同人に対し、本件遺言書を示して、「林由五郎と小林慈征が立会人になった遺言書があり、そこにはお前にはやらないことになっている。」と述べたことがあったが、小川は、その後、同人にも遺産が分配される方向の話合いが進んだので、本件遺言書にはこだわることなく、被控訴人から告げられた本件遺言書の内容等を控訴人や中川に知らせたり、同人らと本件遺言書に関する対応を相談するようなことはなかった。
また、右の話合いの過程において、いずれの相続人も、遺留分について主張したり、これに言及したりすることはなかった。
(六) 控訴人は、このような経過で遺産分割協議が成立したため、本件遺言書の存在を知らなかったところ、その後に、中川から、本件遺言書が存在し、その立会人が林、小林の両名であることを知らされ、小林から本件遺言書を作成した役場を聞き出して、昭和六〇年一二月五日、前記公証人役場を訪れて、吉岡公証人の後任の高田勝公証人から本件遺言書の謄本を受領した。
なお、控訴人は、原審及び当審における各本人尋問において、同人が、昭和五〇年九月九日ころ、銕五郎の墓参りの帰途被控訴人宅に立ち寄った際に「遺言書はないの。」と尋ねたところ、被控訴人は「役に立たない書き付けがあったが破いた。」と答えたと供述するけれども、被控訴人はこのようなやりとりがあったことを否定しており(原審における被控訴人本人尋問)、本件遺言書の内容は、銕五郎の死後相続人間で話し合われた内容と比べて被控訴人に有利な内容であって、これを隠匿することによって被控訴人の立場が有利になるものではないこと、被控訴人自身も、小川に対しては、積極的に遺言書の存在及びその内容を知らせていたことから考えると、被控訴人が、控訴人に対してだけ、敢えて右控訴人の供述部分のような事実と異なる説明をする動機も見当たらず、控訴人の右供述部分はたやすく措信できない(この点に関し、控訴人は、被控訴人は他の相続人から遺留分の主張がされるのをおそれていたと主張するが、これを裏付ける証拠はなく、前記遺産分割協議の際にも、遺留分に関する主張等は、どの相続人からもなされていない。)。
その他、前記認定を覆すに足りる証拠はない。
2. 以上によれば、被控訴人は、銕五郎の死後、控訴人に対しては、本件遺言書の存在を告げなかったけれども、本件遺言書は、公正証書遺言によるものであって、その原本は公証人役場に保管されており、かつ、被控訴人以外の控訴人に身近な者の中にも、本件遺言書の存在及びその内容を知っている者が複数いたのであるから、被控訴人が控訴人に積極的に告知しない限り、本件遺言書の存在及び内容が明らかにならないような状況にはなかったこと及び被控訴人自身、相続人の一人である小川には、本件遺言書を示して、その存在及びその内容を知らせたことを考慮すると、被控訴人が、本件遺言書が存在することを相続人の一人である控訴人に告げなかったことなどの右認定の経緯から民法八九一条五号所定の遺言書の隠匿に該当する事実があったものと認めることは困難である。
二、よって、その余の点について検討するまでもなく、控訴人の本訴請求は失当であり、これを棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。